| Tweet 「アイヌ神話・民話体系」全60話 第40話 霧の海で歌う青い鯨 https://ganta.sa-suke.com/1040.html | |
Ⅰ 自然とカムイの章(1〜15話) 第1話 風のカムイが最初に歌った日 第2話 大地を抱くクマのカムイ 第3話 川の女神トゥラノの涙 第4話 火のカムイと雪のカムイの争い 第5話 海霧を運ぶシャチの精霊 第6話 森の影を食べるフクロウの伝承 第7話 山の心臓が鳴る夜 第8話 雷のカムイが子を授ける話 第9話 霧の中で迷う鹿の魂 第10話 星を拾った少年 第11話 氷の裂け目に住む古い神 第12話 風を縫う少女と草原の歌 第13話 湖の底の鏡の国 第14話 木の根が語る千年前の記憶 第15話 太陽を背負ったカラスの旅 Ⅱ 生活と知恵の章(16〜30話)第16話 最初のアットゥシ織り Ⅲ 戦いと民族の記憶の章(31〜50話)第31話 森を歩く影の鹿角
|
第40話 霧の海で歌う青い鯨 世界がまだ若く、風のカムイが歌い、大地のクマのカムイが眠りを守り、火の鳥が赤い羽を広げ、白い狼が夜明けを運び、黒鹿が月影を抱いて旅をし、月の影が白い狐に導かれて帰ったころ。 その海の北方で、奇妙な現象が起きていた。 海が、霧を吐いていた。 夜でもないのに、 海面から白い霧が立ち上り、 海と空の境目が消えていた。 漁師たちは不安げに囁いた。 「霧が濃すぎる」 「海が眠ってしまったのか」 「霧の中で、何かが歌っている……」 その歌声は低く、 深く、 海の底から響くようだった。 「……オォォ……オォォ……」 それは、 青い鯨――アオ・レプン の歌声だった。 ■ 霧の海を知る少女海辺の村に、 霧の気配を読むことができる少女がいた。 名を キリ・メノコ。 霧の揺れ、霧の涙、霧の歌を感じ取ることができた。 ある朝、少女は海辺で霧の歌を聞いた。 「……オォォ…… さむい…… くらい…… たすけて……」 少女は胸がざわついた。 「霧が……泣いてる…… 海が……苦しんでる……」 そのとき、海のシャチの精霊レタラ・レプンが現れた。 「キリ・メノコよ、 霧の海の歌を聞いたのだな」 少女は頷いた。 「青い鯨が……泣いてるの?」 レタラ・レプンは深くうなずいた。 「アオ・レプンは“海の記憶”を運ぶ鯨。 だが今、海の記憶が重くなりすぎて、 鯨は霧の中に閉じ込められている」 少女は拳を握った。 「わたしが青い鯨を助ける!」 ■ 霧の海へレタラ・レプンは少女を背に乗せ、 霧の海へ向かった。 霧は濃く、 海は静かで、 波は眠っていた。 やがて、霧の奥で巨大な影が揺れた。 青い鯨――アオ・レプン。 その体は霧に包まれ、 青い光は弱く、 歌声は苦しげだった。 「……オォォ…… おもい…… くるしい…… 海の記憶が…… わたしを沈める……」 少女は叫んだ。 「アオ・レプン! どうして霧に閉じ込められてるの?」 鯨はゆっくりと答えた。 「……海は…… 多くの涙を飲んだ…… 悲しみが……深すぎる…… わたしは……その記憶を運ぶ…… だが……重すぎて…… 霧になってしまった……」 ■ 海の記憶の重さ少女は霧に手を伸ばした。 霧は冷たく、 重く、 まるで悲しみそのものだった。 「こんなに……重いの……?」 レタラ・レプンが言った。 「海は世界中の涙を受け止める。 その記憶が積もれば、 海は霧を吐き、 鯨は歌で悲しみを流す。 だが今年は、悲しみが深すぎた」 少女は胸に手を当てた。 「海の記憶を……軽くすればいいんだね」 鯨は弱々しく言った。 「……できるのか……? 海の記憶は……深い…… おまえの心が……沈む……」 少女は首を振った。 「わたしは霧が好き。 霧の涙も、霧の歌も、 全部受け止めたい。 だから、沈まない!」 ■ 霧の底へ少女は霧の中へ飛び込んだ。 霧の底は、 海と空が混ざり合ったような世界だった。 霧が渦を巻き、 海の記憶が漂い、 悲しみの声が響いていた。 「……わすれられた……」 「……さみしい……」 「……くるしい……」 少女は胸を押さえた。 ――重い。 ――苦しい。 ――でも、負けない。 少女は叫んだ。 「海はひとりじゃない! 海の記憶は、海の力だよ! 悲しみも、涙も、 海が受け止めてくれてるんだ!」 霧が揺れ、 海の記憶が光り始めた。 ■ 青い鯨の歌霧が晴れ、 青い鯨が姿を現した。 鯨は深く息を吸い、 大きく歌った。 「オォォォォ……!」 その歌は、 海の記憶を洗い流し、 霧を晴らし、 海を目覚めさせた。 少女の胸の中に、 温かい光が宿った。 「……ありがとう…… おまえの心が…… 海の記憶を軽くした……」 鯨は静かに言った。 ■ 霧の海の復活霧が晴れると、 海は青く輝き、 波は歌い、 風が吹いた。 村人たちは驚いた。 「霧が晴れた!」 「海が目覚めた!」 「青い鯨が歌ったのだ!」 キリ・メノコは海に向かって言った。 「これからも、海の歌を聞かせてね」 海は優しく波を寄せ、 青い鯨は深い海へと沈んでいった。 ■ その後の世界それ以来、 霧の海から歌声が聞こえる夜には、 人々はこう言うようになった。 「あれは、霧の海で歌う青い鯨が 海の記憶を洗っているのだ」 青い鯨は今日も霧の海を巡り、 世界の涙を静かに抱きしめている。 |