「アイヌ神話・民話体系」全60話 第40話 霧の海で歌う青い鯨 https://ganta.sa-suke.com/1040.html

Ⅰ 自然とカムイの章(1〜15話)

第1話 風のカムイが最初に歌った日
第2話 大地を抱くクマのカムイ
第3話 川の女神トゥラノの涙
第4話 
火のカムイと雪のカムイの争い
第5話 海霧を運ぶシャチの精霊
第6話 森の影を食べるフクロウの伝承
第7話 山の心臓が鳴る夜
第8話 雷のカムイが子を授ける話
第9話 霧の中で迷う鹿の魂
第10話 星を拾った少年
第11話 氷の裂け目に住む古い神
第12話 風を縫う少女と草原の歌
第13話 湖の底の鏡の国
第14話 木の根が語る千年前の記憶
第15話 太陽を背負ったカラスの旅

Ⅱ 生活と知恵の章(16〜30話)

第16話 最初のアットゥシ織り
第17話 狩人と弓の精霊の契約
第18話 鮭を呼ぶ歌の誕生
第19話 村を救った薬草の物語
第20話 海を渡る影の船
第21話 風の穴に落ちた少年
第22話 火の鳥が落とした赤い羽
第23話 熊送りの儀式が生まれた日
第24話 星を喰べた山の巨人
第25話 霧の森で笑う子どもたち
第26話 夜明けを運ぶ白い狼
第27話 影を縫う蜘蛛の巣
第28話 風の骨を拾う少年
第29話 月影を抱く黒鹿の旅
第30話 海底に沈んだ風の鈴

Ⅲ 戦いと民族の記憶の章(31〜50話)

第31話 森を歩く影の鹿角
第32話 雪を食べる白い影
第33話 風を忘れた山の梟
第34話 影を渡る黒い舟
第35話 星明かりを飲む黒い鳥
第36話 夜の川を渡る赤い魚
第37話 影を食べる黒い霧
第38話 風の底で眠る青い石
第39話 最後の戦いと雪嵐の夜
第40話 霧の海で歌う青い鯨
第41話 影の森で眠る黒い花
第42話 星の底で笑う赤い面
第43話 風の声を盗む黒い羽
第44話 雪の底で笑う白い面
第45話 夜明けを盗む黒い狼
第46話 影の海で眠る青い面
第47話 風の森で泣く白い鳥
第48話 月の森で歌う黒い鹿
第49話 影の谷で眠る赤い狐
第50話 風の底で歌う白い面

Ⅳ 星・海・影・雪・風 「鳥・鯨・狐・面・鹿」(51〜60話)

第51話 星の森で眠る青い鳥
第52話 海の底で笑う黒い鯨
第53話 影の森で歌う白い狐
第54話 雪の森で眠る黒い面
第55話 風の影で笑う青い狐
第56話 月の底で眠る白い鳥
第57話 影の底で笑う黒い鳥
第58話 風の森で眠る赤い鳥
第59話 星の底で笑う白い狐
第60話 雪の底で歌う黒い鹿

第40話 霧の海で歌う青い鯨

世界がまだ若く、風のカムイが歌い、大地のクマのカムイが眠りを守り、火の鳥が赤い羽を広げ、白い狼が夜明けを運び、黒鹿が月影を抱いて旅をし、月の影が白い狐に導かれて帰ったころ。  その海の北方で、奇妙な現象が起きていた。

海が、霧を吐いていた。

夜でもないのに、  海面から白い霧が立ち上り、  海と空の境目が消えていた。

漁師たちは不安げに囁いた。

「霧が濃すぎる」  「海が眠ってしまったのか」  「霧の中で、何かが歌っている……」

その歌声は低く、  深く、  海の底から響くようだった。

「……オォォ……オォォ……」

それは、  青い鯨――アオ・レプン の歌声だった。

■ 霧の海を知る少女

海辺の村に、  霧の気配を読むことができる少女がいた。

名を キリ・メノコ。  霧の揺れ、霧の涙、霧の歌を感じ取ることができた。

ある朝、少女は海辺で霧の歌を聞いた。

「……オォォ……   さむい……   くらい……   たすけて……」

少女は胸がざわついた。

「霧が……泣いてる……   海が……苦しんでる……」

そのとき、海のシャチの精霊レタラ・レプンが現れた。

「キリ・メノコよ、   霧の海の歌を聞いたのだな」

少女は頷いた。

「青い鯨が……泣いてるの?」

レタラ・レプンは深くうなずいた。

「アオ・レプンは“海の記憶”を運ぶ鯨。   だが今、海の記憶が重くなりすぎて、   鯨は霧の中に閉じ込められている」

少女は拳を握った。

「わたしが青い鯨を助ける!」

■ 霧の海へ

レタラ・レプンは少女を背に乗せ、  霧の海へ向かった。

霧は濃く、  海は静かで、  波は眠っていた。

やがて、霧の奥で巨大な影が揺れた。

青い鯨――アオ・レプン。

その体は霧に包まれ、  青い光は弱く、  歌声は苦しげだった。

「……オォォ……   おもい……   くるしい……   海の記憶が……   わたしを沈める……」

少女は叫んだ。

「アオ・レプン! どうして霧に閉じ込められてるの?」

鯨はゆっくりと答えた。

「……海は……   多くの涙を飲んだ……   悲しみが……深すぎる……   わたしは……その記憶を運ぶ……   だが……重すぎて……   霧になってしまった……」

■ 海の記憶の重さ

少女は霧に手を伸ばした。

霧は冷たく、  重く、  まるで悲しみそのものだった。

「こんなに……重いの……?」

レタラ・レプンが言った。

「海は世界中の涙を受け止める。   その記憶が積もれば、   海は霧を吐き、   鯨は歌で悲しみを流す。   だが今年は、悲しみが深すぎた」

少女は胸に手を当てた。

「海の記憶を……軽くすればいいんだね」

鯨は弱々しく言った。

「……できるのか……?   海の記憶は……深い……   おまえの心が……沈む……」

少女は首を振った。

「わたしは霧が好き。   霧の涙も、霧の歌も、   全部受け止めたい。   だから、沈まない!」

■ 霧の底へ

少女は霧の中へ飛び込んだ。

霧の底は、  海と空が混ざり合ったような世界だった。

霧が渦を巻き、  海の記憶が漂い、  悲しみの声が響いていた。

「……わすれられた……」  「……さみしい……」  「……くるしい……」

少女は胸を押さえた。

――重い。  ――苦しい。 ――でも、負けない。

少女は叫んだ。

「海はひとりじゃない!   海の記憶は、海の力だよ!   悲しみも、涙も、   海が受け止めてくれてるんだ!」

霧が揺れ、  海の記憶が光り始めた。

■ 青い鯨の歌

霧が晴れ、  青い鯨が姿を現した。

鯨は深く息を吸い、  大きく歌った。

「オォォォォ……!」

その歌は、  海の記憶を洗い流し、  霧を晴らし、  海を目覚めさせた。

少女の胸の中に、  温かい光が宿った。

「……ありがとう……   おまえの心が……   海の記憶を軽くした……」

鯨は静かに言った。

■ 霧の海の復活

霧が晴れると、  海は青く輝き、  波は歌い、  風が吹いた。

村人たちは驚いた。

「霧が晴れた!」  「海が目覚めた!」  「青い鯨が歌ったのだ!」

キリ・メノコは海に向かって言った。

「これからも、海の歌を聞かせてね」

海は優しく波を寄せ、  青い鯨は深い海へと沈んでいった。

■ その後の世界

それ以来、  霧の海から歌声が聞こえる夜には、  人々はこう言うようになった。

「あれは、霧の海で歌う青い鯨が  海の記憶を洗っているのだ」

青い鯨は今日も霧の海を巡り、  世界の涙を静かに抱きしめている。