「アイヌ神話・民話体系」全60話 第37話  影を食べる黒い霧 https://ganta.sa-suke.com/1037.html

Ⅰ 自然とカムイの章(1〜15話)

第1話 風のカムイが最初に歌った日
第2話 大地を抱くクマのカムイ
第3話 川の女神トゥラノの涙
第4話 
火のカムイと雪のカムイの争い
第5話 海霧を運ぶシャチの精霊
第6話 森の影を食べるフクロウの伝承
第7話 山の心臓が鳴る夜
第8話 雷のカムイが子を授ける話
第9話 霧の中で迷う鹿の魂
第10話 星を拾った少年
第11話 氷の裂け目に住む古い神
第12話 風を縫う少女と草原の歌
第13話 湖の底の鏡の国
第14話 木の根が語る千年前の記憶
第15話 太陽を背負ったカラスの旅

Ⅱ 生活と知恵の章(16〜30話)

第16話 最初のアットゥシ織り
第17話 狩人と弓の精霊の契約
第18話 鮭を呼ぶ歌の誕生
第19話 村を救った薬草の物語
第20話 海を渡る影の船
第21話 風の穴に落ちた少年
第22話 火の鳥が落とした赤い羽
第23話 熊送りの儀式が生まれた日
第24話 星を喰べた山の巨人
第25話 霧の森で笑う子どもたち
第26話 夜明けを運ぶ白い狼
第27話 影を縫う蜘蛛の巣
第28話 風の骨を拾う少年
第29話 月影を抱く黒鹿の旅
第30話 海底に沈んだ風の鈴

Ⅲ 戦いと民族の記憶の章(31〜50話)

第31話 森を歩く影の鹿角
第32話 雪を食べる白い影
第33話 風を忘れた山の梟
第34話 影を渡る黒い舟
第35話 星明かりを飲む黒い鳥
第36話 夜の川を渡る赤い魚
第37話 影を食べる黒い霧
第38話 風の底で眠る青い石
第39話 最後の戦いと雪嵐の夜
第40話 霧の海で歌う青い鯨
第41話 影の森で眠る黒い花
第42話 星の底で笑う赤い面
第43話 風の声を盗む黒い羽
第44話 雪の底で笑う白い面
第45話 夜明けを盗む黒い狼
第46話 影の海で眠る青い面
第47話 風の森で泣く白い鳥
第48話 月の森で歌う黒い鹿
第49話 影の谷で眠る赤い狐
第50話 風の底で歌う白い面

Ⅳ 星・海・影・雪・風 「鳥・鯨・狐・面・鹿」(51〜60話)

第51話 星の森で眠る青い鳥
第52話 海の底で笑う黒い鯨
第53話 影の森で歌う白い狐
第54話 雪の森で眠る黒い面
第55話 風の影で笑う青い狐
第56話 月の底で眠る白い鳥
第57話 影の底で笑う黒い鳥
第58話 風の森で眠る赤い鳥
第59話 星の底で笑う白い狐
第60話 雪の底で歌う黒い鹿

第37話 影を食べる黒い霧

世界がまだ若く、風のカムイが歌い、大地のクマのカムイが眠りを守り、火の鳥が赤い羽を広げ、白い狼が夜明けを運び、黒鹿が月影を抱いて旅をし、赤い魚が川の魂を運んでいたころ。  その森の北端で、奇妙な異変が起きていた。

影が消えていく。

木々の影が薄れ、  岩の影が揺らぎ、  動物たちの影が欠けていた。

影を失うということは、  魂の一部を失うということ。

森の動物たちは震えた。

「影が……食べられている」  「影を喰うものが現れた」  「このままでは、森が死ぬ」

その噂は、影を読む狐 レクン・カムイ の耳にも届いた。

レクン・カムイは森を駆け、  影の揺れを読み取った。

そして、森の奥でそれを見つけた。

黒い霧――カゲ・ルプシ。

霧は黒く、  風に逆らって漂い、  触れた影を吸い込み、  影を食べていた。

レクン・カムイは低く唸った。

「……影を食べる黒い霧……   これは、ただの霧ではない。   “影の飢え” が形を取ったものだ」

■ 影を失った少年

森の外れに、  影が薄くなった少年がいた。

名を カゲミ・シモ。  影の揺れを読むことができる少年だったが、  その影は今、足元で揺らぎ、  まるで霧に溶けそうだった。

少年は不安げに呟いた。

「ぼくの影……薄くなってる……   このままじゃ……消えてしまう……」

そのとき、レクン・カムイが現れた。

「カゲミ・シモよ、   おまえの影は黒い霧に狙われている。   影が弱れば、霧に喰われる」

少年は震えた。

「どうすれば……影を守れるの……?」

レクン・カムイは影を揺らした。

「黒い霧は“影の飢え”だ。   影が心から離れたとき、   その隙を狙って霧が喰らう。   おまえの心が揺れているのだ」

少年は目を伏せた。

「……最近、   自分の影を見るのが怖かった……   影がぼくを責めている気がして……   だから、影を見ないようにしてた……」

レクン・カムイは静かに言った。

「影はおまえを責めていない。   影はおまえの心の形だ。   心を拒めば、影も揺れる」

少年は拳を握った。

「ぼく……影を取り戻したい。   黒い霧を止めたい!」

■ 黒い霧を追う

レクン・カムイは頷いた。

「ならば、影の道を辿れ。   黒い霧は“影の谷”へ向かっている。   影を喰い、影を集め、   影の底を満たそうとしている」

少年は影の道を踏み、  レクン・カムイとともに森の奥へ進んだ。

影の谷は暗く、  木々は影を垂らし、  風は影のように冷たかった。

やがて、黒い霧が渦を巻いていた。

霧は影を吸い込み、  影を喰らい、  影を飲み込んでいた。

少年は叫んだ。

「黒い霧! 影を返せ!」

霧は揺れ、  低い声が響いた。

「……影は……おいしい……   影は……心の欠片……   心が弱れば……影は落ちる……   わたしは……それを食べる……」

■ 黒い霧の正体

レクン・カムイは霧に向かって言った。

「おまえは影を喰うために生まれたのではない。   おまえは“影の涙”だ。   影が心から離れたとき、   その悲しみが霧となる」

黒い霧は揺れた。

「……わたしは……悲しみ……?   わたしは……飢えている……   影が欲しい……   影がないと……消えてしまう……」

少年は霧に近づいた。

「影を食べても、   あなたの飢えは満たされないよ。   影は心の形なんだ。   心が戻らない限り、   影を食べても意味がない」

霧は震えた。

「……心……?   心が……影を作る……?」

「そうだよ。   影は心の友だ。   心を取り戻せば、影も戻る。   あなたは影を喰う必要なんてない」

■ 影の試練

黒い霧は少年に問いかけた。

「……おまえの影は……揺れている……   おまえの心は……弱い……   そんな心で……影を守れるのか……?」

少年は胸に手を当てた。

「ぼくは弱いよ。   でも、影を嫌わない。   影はぼくの一部だから。   ぼくは影といっしょに生きたい!」

その瞬間、  少年の影が強く揺れ、  黒い霧の中に光が差し込んだ。

霧は苦しげに揺れた。

「……あたたかい……   これは……影の心……?」

レクン・カムイが言った。

「影の心は、   おまえの飢えを満たすものではない。   おまえを癒すものだ」

■ 黒い霧の浄化

少年は霧に手を伸ばした。

「もう影を食べなくていい。   あなたは影の涙なんだ。   涙は、心が戻れば消えるんだよ」

黒い霧は光に包まれ、  ゆっくりと薄れていった。

霧の中から、  小さな白い光が現れた。

「……わたしは……   影の涙……   もう……飢えていない……」

光は風に乗り、  森の影へ溶けていった。

■ 影の帰還

少年の影は濃くなり、  しっかりと地面に落ちた。

レクン・カムイは言った。

「おまえの心が影を救い、   影が霧を癒した。   影は心の形。   心を大切にすれば、影も強くなる」

少年は微笑んだ。

「影は……ぼくの友だ」

■ その後の世界

黒い霧が消えると、  森の影は戻り、  動物たちは安心した。

村人たちは言った。

「影を食べる黒い霧は、   影の涙だったのだ」  「影が揺れる夜は、   心が揺れている証だ」  「影を大切にすれば、   霧は現れない」

そして、影がひときわ濃く揺れる夜には、  人々はこう言うようになった。

「あれは、影を食べる黒い霧が  涙となって消えた名残だ」

影は今日も静かに揺れ、  心とともに世界を歩いている。