「アイヌ神話・民話体系」全60話 第2話 大地を抱くクマのカムイhttps://ganta.sa-suke.com/1002.html

Ⅰ 自然とカムイの章(1〜15話)

第1話 風のカムイが最初に歌った日
第2話 大地を抱くクマのカムイ
第3話 川の女神トゥラノの涙
第4話 
火のカムイと雪のカムイの争い
第5話 海霧を運ぶシャチの精霊
第6話 森の影を食べるフクロウの伝承
第7話 山の心臓が鳴る夜
第8話 雷のカムイが子を授ける話
第9話 霧の中で迷う鹿の魂
第10話 星を拾った少年
第11話 氷の裂け目に住む古い神
第12話 風を縫う少女と草原の歌
第13話 湖の底の鏡の国
第14話 木の根が語る千年前の記憶
第15話 太陽を背負ったカラスの旅

Ⅱ 生活と知恵の章(16〜30話)

第16話 最初のアットゥシ織り
第17話 狩人と弓の精霊の契約
第18話 鮭を呼ぶ歌の誕生
第19話 村を救った薬草の物語
第20話 海を渡る影の船
第21話 風の穴に落ちた少年
第22話 火の鳥が落とした赤い羽
第23話 熊送りの儀式が生まれた日
第24話 星を喰べた山の巨人
第25話 霧の森で笑う子どもたち
第26話 夜明けを運ぶ白い狼
第27話 影を縫う蜘蛛の巣
第28話 風の骨を拾う少年
第29話 月影を抱く黒鹿の旅
第30話 海底に沈んだ風の鈴

Ⅲ 戦いと民族の記憶の章(31〜50話)

第31話 森を歩く影の鹿角
第32話 雪を食べる白い影
第33話 風を忘れた山の梟
第34話 影を渡る黒い舟
第35話 星明かりを飲む黒い鳥
第36話 夜の川を渡る赤い魚
第37話 影を食べる黒い霧
第38話 風の底で眠る青い石
第39話 最後の戦いと雪嵐の夜
第40話 霧の海で歌う青い鯨
第41話 影の森で眠る黒い花
第42話 星の底で笑う赤い面
第43話 風の声を盗む黒い羽
第44話 雪の底で笑う白い面
第45話 夜明けを盗む黒い狼
第46話 影の海で眠る青い面
第47話 風の森で泣く白い鳥
第48話 月の森で歌う黒い鹿
第49話 影の谷で眠る赤い狐
第50話 風の底で歌う白い面

Ⅳ 星・海・影・雪・風 「鳥・鯨・狐・面・鹿」(51〜60話)

第51話 星の森で眠る青い鳥
第52話 海の底で笑う黒い鯨
第53話 影の森で歌う白い狐
第54話 雪の森で眠る黒い面
第55話 風の影で笑う青い狐
第56話 月の底で眠る白い鳥
第57話 影の底で笑う黒い鳥
第58話 風の森で眠る赤い鳥
第59話 星の底で笑う白い狐
第60話 雪の底で歌う黒い鹿
第2話 大地を抱くクマのカムイ

 世界がまだ若く、風のカムイが歌を覚えたばかりのころ。森は深く、山は今よりもずっと大きく、川は大地の血のように脈打っていた。カムイたちは互いに距離を保ちながらも、世界の均衡を守るために、それぞれの役目を果たしていた。

 その中に、ひときわ大きな存在がいた。  

キムン・カムイ
――山の神にして、クマの姿をとる偉大なカムイである。

 キムン・カムイは、山の奥深くにある洞の中で眠っていた。  彼の眠りは長く、深く、そして重かった。  なぜなら、彼は「大地の鼓動」を抱いて眠る役目を持っていたからだ。

 大地の鼓動とは、世界が生きている証。  それが乱れれば、山は崩れ、川は荒れ、森は枯れてしまう。  キムン・カムイはその鼓動を胸に抱き、世界が安らかであるようにと眠り続けていた。

 しかし、ある年の冬、世界に異変が起きた。  風が強く吹き荒れ、雪は例年よりも重く、森の動物たちは食べ物を見つけられずに苦しんでいた。  風のカムイ、レラ・カムイの歌が強すぎたのだ。

 レラ・カムイはまだ若く、自分の力の加減を知らなかった。  彼の歌は世界を動かすが、時に世界を揺らしすぎてしまう。

 森の動物たちは、キムン・カムイの洞の前に集まり、声を上げた。

 「キムン・カムイよ、どうか目を覚ましてください。   このままでは森が滅びてしまいます」

 しかし、キムン・カムイは目を開けなかった。  大地の鼓動が弱まり、彼の眠りはさらに深くなっていたのだ。

 動物たちは困り果てた。  そのとき、一匹の若いヒグマが前に出た。  名をレタラ・キムンという、白い胸毛を持つ勇敢な熊だった。

 「わたしがキムン・カムイを起こしてみせる。   大地の鼓動が弱まっているなら、わたしがそれを取り戻してくる」

 動物たちは驚いた。  大地の鼓動は、世界のどこか深い場所に隠されていると伝えられていた。  そこへ行くには、危険な谷を越え、氷の洞窟を抜け、闇の底へ降りなければならない。

 しかし、レタラ・キムンの目は揺らがなかった。

 「キムン・カムイが眠り続ければ、わたしたちの森は終わる。   ならば、わたしが行くしかない」

 こうして、若い熊の旅が始まった。

 レタラ・キムンは、まず深い谷へ向かった。  谷は風のカムイの歌が渦巻く場所で、強い風が岩を砕き、雪を巻き上げていた。

 「レラ・カムイよ、どうか道を開けてくれ」

 レタラ・キムンが叫ぶと、風は一瞬だけ弱まった。  レラ・カムイは若い熊の勇気を感じ取ったのだ。

 「行くがよい、熊の子よ。   だが、わたしの歌は止められぬ。   世界は動き続けねばならぬのだから」

 風は再び強く吹き始めたが、レタラ・キムンはその隙に谷を駆け抜けた。

 次に彼が向かったのは、氷の洞窟だった。  そこには、冬のカムイであるシリ・フチが住んでいた。

 「大地の鼓動を探しに来たのかい、若い熊よ」

 シリ・フチは冷たい声で言った。

 「ならば、この氷の壁を越えていくといい。   だが気をつけな。   大地の鼓動は、弱まると闇に飲まれやすい」

 レタラ・キムンは氷の壁を爪で削り、体を震わせながら進んだ。  やがて、洞窟の奥に黒い裂け目が現れた。

 そこが「闇の底」だった。

 闇の底には、世界の影が集まっていた。  そこには光も音もなく、ただ重い沈黙だけが漂っていた。

 レタラ・キムンは恐怖を感じたが、進むのをやめなかった。  やがて、闇の中心に小さな光が見えた。

 それが――弱まりかけた「大地の鼓動」だった。

 レタラ・キムンはその光を胸に抱きしめた。  すると、光は彼の体に吸い込まれ、胸の奥で脈打ち始めた。

 ――ドン、ドン、ドン。

 それはまるで、彼自身の心臓と重なるようだった。

 レタラ・キムンは闇を抜け、氷の洞窟を戻り、谷を越え、森へ帰った。  胸の鼓動は強く、温かく、まるで大地そのもののようだった。

 洞の前に戻ると、動物たちが集まっていた。

 「レタラ・キムンよ、戻ったのか!」

 若い熊は頷き、キムン・カムイの胸にそっと自分の胸を重ねた。

 その瞬間、洞が揺れ、大地が震えた。  キムン・カムイの巨大な体が動き、ゆっくりと目を開いた。

 「……誰だ、わたしを呼んだのは」

 レタラ・キムンは震える声で答えた。

 「わたしです。   森を守るため、大地の鼓動を取り戻してきました」

 キムン・カムイは若い熊を見つめ、深く息を吐いた。

 「おまえは勇敢だ。   大地の鼓動を抱いて闇を越えた者は、これまでいなかった。   おまえの胸には、今も大地の力が宿っている」

 キムン・カムイは大きな手でレタラ・キムンの頭を撫でた。

 「今日からおまえは、わたしの子。   森を守る者として生きるがよい」

 その日から、レタラ・キムンは「大地を抱く熊」と呼ばれ、森の守り神となった。  彼の胸には今も大地の鼓動が宿り、森が乱れるときにはその鼓動が響くという。

 そしてキムン・カムイは、再び大地を抱いて眠りについた。  だがその眠りは、以前よりも軽く、温かかった。  なぜなら、彼はもう一人で大地を抱えているのではなかったからだ。

 これが、大地を抱くクマのカムイの物語である。