| Tweet 「アイヌ神話・民話体系」全60話 第23話 影をなくした熊の子https://ganta.sa-suke.com/1023.html | |
Ⅰ 自然とカムイの章(1〜15話) 第1話 風のカムイが最初に歌った日 第2話 大地を抱くクマのカムイ 第3話 川の女神トゥラノの涙 第4話 火のカムイと雪のカムイの争い 第5話 海霧を運ぶシャチの精霊 第6話 森の影を食べるフクロウの伝承 第7話 山の心臓が鳴る夜 第8話 雷のカムイが子を授ける話 第9話 霧の中で迷う鹿の魂 第10話 星を拾った少年 第11話 氷の裂け目に住む古い神 第12話 風を縫う少女と草原の歌 第13話 湖の底の鏡の国 第14話 木の根が語る千年前の記憶 第15話 太陽を背負ったカラスの旅 Ⅱ 生活と知恵の章(16〜30話)第16話 最初のアットゥシ織り Ⅲ 戦いと民族の記憶の章(31〜50話)第31話 森を歩く影の鹿角
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第23話 影をなくした熊の子 世界がまだ若く、風のカムイが歌い、大地のクマのカムイが眠りを守り、川の女神トゥラノが森を癒し、海のシャチの精霊が霧を運び、影の舟が夜の海を渡り、雪原には霜をまとう鹿の王が歩き、火の鳥が赤い羽を広げて空を巡っていたころ。 その森の奥深くに、ひとりの小さな熊の子が住んでいた。 名を ポロ・クマ。 まだ幼く、好奇心に満ちた熊の子だった。 しかし、ある朝―― ポロ・クマは自分の影が消えていることに気づいた。 「……あれ? ぼくの影が……ない……!」 太陽は昇り、木々には影が落ちているのに、 ポロ・クマの足元だけは、ぽっかりと影がなかった。 影がないということは、 魂の一部が欠けているということ。 森の動物たちはざわめいた。 「影をなくすなんて、不吉だ」 「影を奪うものが森にいるのか」 「影がなければ、夜に迷ってしまう」 ポロ・クマは不安で胸がいっぱいになった。 「ぼくの影……どこへ行ったの……?」 ■ 影を探す旅の始まりそのとき、影を食べるフクロウ、カゲ・ムン が木の上から降りてきた。 「ポロ・クマよ、影をなくしたのはただ事ではない。 影は魂の形。 影を奪われれば、心が弱り、体も動かなくなる」 ポロ・クマは震えながら言った。 「ぼく……どうすればいいの……?」 カゲ・ムンは翼を広げた。 「影を取り戻すには、影が向かった先を追わねばならぬ。 影は自ら動くことはない。 何かに“呼ばれた”のだ」 「呼ばれた……?」 「そうだ。 影を呼ぶ存在がいる。 それを探すのだ」 ポロ・クマは決意した。 「ぼく、影を取り戻す! どこへでも行く!」 カゲ・ムンは頷いた。 「ならば、影の道を辿ろう。 わたしが案内する」 ■ 影の道を辿るカゲ・ムンは夜の森へ飛び立ち、 ポロ・クマはその後を追った。 影の道は、 月の光が届かない場所にだけ現れる細い黒い筋だった。 「影は……北へ向かっている…… これは“影の呼び声”だ」 ポロ・クマは息を呑んだ。 「影を呼ぶのは……誰?」 カゲ・ムンは低く言った。 「影を集める者…… “影の王(カゲ・コタン・カムイ)” だ」 影の王―― それは、森の最も深い場所に住む古い影の精霊で、 影の均衡を守る存在だった。 しかし、影の王が影を奪うことなど、 本来ありえない。 「影の王が……どうしてぼくの影を……?」 カゲ・ムンは首を振った。 「それを確かめに行くのだ」 ■ 影の王の住処へ森の奥は暗く、 木々は影をまとい、 風は影のように冷たかった。 やがて、巨大な黒い洞窟が現れた。 洞窟の中は静かで、 影が生き物のように揺れていた。 カゲ・ムンが言った。 「ここが影の王の住処だ。 気をつけろ。 影は心を映す」 ポロ・クマは勇気を振り絞って洞窟に入った。 すると、奥から低い声が響いた。 「……来たか…… 影をなくした熊の子よ……」 影の王が姿を現した。 体は黒い霧のようで、 目は深い闇の奥で光っていた。 ■ 影の王の真意ポロ・クマは震えながら言った。 「ぼくの影……返して……! 影がないと……ぼく……ぼく……!」 影の王は静かに言った。 「影を奪ったのではない。 影が……おまえの心から離れたのだ」 「心から……?」 「おまえは最近、不安を抱えていた。 “自分は弱い” “みんなの役に立てない” そう思っていたな」 ポロ・クマは目を見開いた。 「……どうして……知ってるの……?」 影の王は言った。 「影は心の形。 心が揺れれば、影も揺れる。 心が弱れば、影は離れる。 おまえの影は、 “おまえの心が自分を拒んだ” と感じたのだ」 ポロ・クマは涙をこぼした。 「ぼく……そんなつもりじゃ…… ただ……みんなみたいに強くなりたくて…… でも、できなくて…… 自分が嫌になって……」 影の王は静かに頷いた。 「だから影は、おまえの心から離れた。 だが、影はまだおまえを見捨ててはいない。 影はここにいる」 影の王が手を広げると、 黒い影の中から小さな影が現れた。 それは―― ポロ・クマの影だった。 ■ 影との対話ポロ・クマの影は震えていた。 「……ぼくは…… ポロ・クマの影…… でも…… ポロ・クマは……ぼくを嫌った……」 ポロ・クマは影に駆け寄った。 「嫌ってなんかない! ぼくは……ぼくは…… 自分が弱いのが嫌だっただけ…… 影のせいじゃない……!」 影は揺れた。 「……ほんとう……?」 「ほんとうだよ! ぼくは影がいないと困る! 影はぼくの一部なんだ!」 影はゆっくりと近づき、 ポロ・クマの足元に寄り添った。 「……なら…… 帰っても……いい……?」 ポロ・クマは涙を拭いて言った。 「帰ってきて…… ぼくの影……!」 影は光に溶けるように、 ポロ・クマの足元へ戻った。 ■ 影の王の言葉影の王は静かに言った。 「影は心の形。 心を大切にすれば、影も強くなる。 影を恐れるな。 影を嫌うな。 影はおまえの友だ」 ポロ・クマは深く頭を下げた。 「ありがとう……影の王さま…… ぼく、もう自分を嫌わない。 影といっしょに生きる!」 影の王は満足げに頷いた。 「行け。 おまえの影は、おまえとともに歩む」 ■ その後の世界ポロ・クマが村へ戻ると、 動物たちは安心した。 「影が戻った!」 「よかった……!」 「影をなくした熊の子は、もういない!」 ポロ・クマは影を見つめて言った。 「これからは、影といっしょに強くなるんだ」 そして、夕暮れに影が長く伸びると、 人々はこう言うようになった。 「あれは、影を取り戻した熊の子が 影とともに歩いている証だ」 影は今日も静かに揺れ、 ポロ・クマの足元で寄り添っている。 |