| Tweet 「アイヌ神話・民話体系」全60話 第31話 森を歩く影の鹿角https://ganta.sa-suke.com/1031.html | |
Ⅰ 自然とカムイの章(1〜15話) 第1話 風のカムイが最初に歌った日 第2話 大地を抱くクマのカムイ 第3話 川の女神トゥラノの涙 第4話 火のカムイと雪のカムイの争い 第5話 海霧を運ぶシャチの精霊 第6話 森の影を食べるフクロウの伝承 第7話 山の心臓が鳴る夜 第8話 雷のカムイが子を授ける話 第9話 霧の中で迷う鹿の魂 第10話 星を拾った少年 第11話 氷の裂け目に住む古い神 第12話 風を縫う少女と草原の歌 第13話 湖の底の鏡の国 第14話 木の根が語る千年前の記憶 第15話 太陽を背負ったカラスの旅 Ⅱ 生活と知恵の章(16〜30話)第16話 最初のアットゥシ織り Ⅲ 戦いと民族の記憶の章(31〜50話)第31話 森を歩く影の鹿角
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第31話 森を歩く影の鹿角 世界がまだ若く、風のカムイが歌い、大地のクマのカムイが眠りを守り、火の鳥が赤い羽を広げ、白い狼が夜明けを運び、黒鹿が月影を抱いて旅をし、海底の風の鈴が海と風を仲直りさせたころ。 その森の奥深くで、奇妙な噂が広がっていた。 「鹿の角だけが、森を歩いている」 鹿の姿はなく、 角だけが影のように揺れ、 夜の森を静かに歩いているという。 村人たちは恐れた。 「角だけが歩くなんて、不吉だ」 「影の鹿角に出会えば、魂を奪われる」 「森のカムイが怒っているのかもしれない」 しかし、森を愛するひとりの少年は、 その噂に心を奪われていた。 名を シリ・ポロ・カムイ―― 森の声を聞くことができる少年だった。 ■ 影の鹿角との遭遇ある夜、少年は森を歩いていた。 月は細く、 風は弱く、 森は静かだった。 そのとき―― 木々の間で、黒い影が揺れた。 カツ……カツ…… 足音のような音がした。 少年が目を凝らすと、 そこには鹿の角があった。 しかし、角には体がなかった。 角だけが影のように揺れ、 ゆっくりと森を歩いていた。 「……本当に……歩いてる……」 角は少年に気づくと、 ふっと影を揺らした。 「……ついてこい……」 声は聞こえなかったが、 角は確かにそう語っていた。 少年は迷わず後を追った。 ■ 影の鹿角の正体角は森の奥へ進み、 やがて古い大木の前で止まった。 その大木は、 森の守り神 キムン・ニレ の木だった。 しかし、木は弱っていた。 幹はひび割れ、 葉はしおれ、 根は乾いていた。 少年は驚いた。 「キムン・ニレさま……どうして……?」 そのとき、影の鹿角が揺れ、 低い声が響いた。 「……わたしは…… キムン・ニレの“影の角”…… 森の力が弱まり…… わたしは体から離れた……」 少年は息を呑んだ。 「あなたは……鹿のカムイの角じゃなくて…… 木の精霊の角……?」 影の角は静かに頷いた。 「キムン・ニレは森の守り神…… その力は“角”に宿る…… だが、森が弱れば……角も影となり…… 体から離れてしまう……」 少年は胸が痛くなった。 「森が……泣いているんだ……」 ■ 森が弱った理由影の角は言った。 「森が弱ったのは…… “影の病” が広がっているからだ…… 影が濃くなり…… 木々の心を覆っている…… このままでは……森は死ぬ……」 少年は震えながら言った。 「影の病……? どうすれば治せるの……?」 影の角は答えた。 「森の“影の根” を探し…… 影をほどくのだ…… 影の根は……森の底にある…… だが、影の根は……心を試す…… 弱い心は……影に飲まれる……」 少年は決意した。 「ぼくが行く。 森を救うために」 影の角は揺れた。 「……ならば……わたしが道を示そう…… 影の鹿角は……森の影を読む…… ついてこい……」 ■ 影の根へ影の角は森の奥へ進み、 少年はその後を追った。 森は次第に暗くなり、 影は濃くなり、 風は止まった。 やがて、地面に黒い裂け目が現れた。 「ここが……影の根……」 裂け目の奥から、 影のような根が伸びていた。 根は生き物のように揺れ、 森の力を吸い取っていた。 少年は震えながらも進んだ。 「森を……救うんだ……」 ■ 影の根の試練影の根は少年の心に語りかけた。 「……おまえは弱い…… 森を救う力などない…… 影に飲まれよ……」 少年は胸を押さえた。 ――ぼくは弱い。 ――森を救えるのか。 ――影に勝てるのか。 そのとき、影の角が強く揺れた。 「心を強く持て…… 影は心の揺れを喰う…… おまえの心が揺れれば…… 影は増える……」 少年は深く息を吸った。 「ぼくは弱いかもしれない。 でも、森が好きだ。 森を救いたい。 その気持ちは……影に負けない!」 その瞬間、 影の根が揺れ、 黒い影がほどけていった。 影の角が光り、 森の底に光が差し込んだ。 ■ 森の復活影の根が消えると、 森の木々は息を吹き返した。 キムン・ニレの木も、 幹が光り、葉が蘇り、 根が力強く大地を掴んだ。 影の角は木の幹へ戻り、 光に包まれて消えた。 キムン・ニレの声が響いた。 「……ありがとう…… おまえの心が……森を救った…… 影は……恐れるものではない…… 影は……心の揺れ…… 心が整えば……影も整う……」 少年は深く頭を下げた。 ■ その後の世界森は再び緑を取り戻し、 動物たちは安心して暮らした。 村人たちは言った。 「影の鹿角は、森を守るために歩いていたのだ」 「森が弱ると、影の角が現れる」 「森を救ったのは、あの少年だ」 そして、夜の森で影が揺れると、 人々はこう言うようになった。 「あれは、森を歩く影の鹿角が 森の心を見守っている証だ」 影の鹿角は今日も静かに森を巡り、 森の影と心の均衡を守り続けている。 |