「アイヌ神話・民話体系」全60話 第31話 森を歩く影の鹿角https://ganta.sa-suke.com/1031.html

Ⅰ 自然とカムイの章(1〜15話)

第1話 風のカムイが最初に歌った日
第2話 大地を抱くクマのカムイ
第3話 川の女神トゥラノの涙
第4話 
火のカムイと雪のカムイの争い
第5話 海霧を運ぶシャチの精霊
第6話 森の影を食べるフクロウの伝承
第7話 山の心臓が鳴る夜
第8話 雷のカムイが子を授ける話
第9話 霧の中で迷う鹿の魂
第10話 星を拾った少年
第11話 氷の裂け目に住む古い神
第12話 風を縫う少女と草原の歌
第13話 湖の底の鏡の国
第14話 木の根が語る千年前の記憶
第15話 太陽を背負ったカラスの旅

Ⅱ 生活と知恵の章(16〜30話)

第16話 最初のアットゥシ織り
第17話 狩人と弓の精霊の契約
第18話 鮭を呼ぶ歌の誕生
第19話 村を救った薬草の物語
第20話 海を渡る影の船
第21話 風の穴に落ちた少年
第22話 火の鳥が落とした赤い羽
第23話 熊送りの儀式が生まれた日
第24話 星を喰べた山の巨人
第25話 霧の森で笑う子どもたち
第26話 夜明けを運ぶ白い狼
第27話 影を縫う蜘蛛の巣
第28話 風の骨を拾う少年
第29話 月影を抱く黒鹿の旅
第30話 海底に沈んだ風の鈴

Ⅲ 戦いと民族の記憶の章(31〜50話)

第31話 森を歩く影の鹿角
第32話 雪を食べる白い影
第33話 風を忘れた山の梟
第34話 影を渡る黒い舟
第35話 星明かりを飲む黒い鳥
第36話 夜の川を渡る赤い魚
第37話 影を食べる黒い霧
第38話 風の底で眠る青い石
第39話 最後の戦いと雪嵐の夜
第40話 霧の海で歌う青い鯨
第41話 影の森で眠る黒い花
第42話 星の底で笑う赤い面
第43話 風の声を盗む黒い羽
第44話 雪の底で笑う白い面
第45話 夜明けを盗む黒い狼
第46話 影の海で眠る青い面
第47話 風の森で泣く白い鳥
第48話 月の森で歌う黒い鹿
第49話 影の谷で眠る赤い狐
第50話 風の底で歌う白い面

Ⅳ 星・海・影・雪・風 「鳥・鯨・狐・面・鹿」(51〜60話)

第51話 星の森で眠る青い鳥
第52話 海の底で笑う黒い鯨
第53話 影の森で歌う白い狐
第54話 雪の森で眠る黒い面
第55話 風の影で笑う青い狐
第56話 月の底で眠る白い鳥
第57話 影の底で笑う黒い鳥
第58話 風の森で眠る赤い鳥
第59話 星の底で笑う白い狐
第60話 雪の底で歌う黒い鹿

第31話 森を歩く影の鹿角

世界がまだ若く、風のカムイが歌い、大地のクマのカムイが眠りを守り、火の鳥が赤い羽を広げ、白い狼が夜明けを運び、黒鹿が月影を抱いて旅をし、海底の風の鈴が海と風を仲直りさせたころ。  その森の奥深くで、奇妙な噂が広がっていた。

「鹿の角だけが、森を歩いている」

鹿の姿はなく、  角だけが影のように揺れ、  夜の森を静かに歩いているという。

村人たちは恐れた。

「角だけが歩くなんて、不吉だ」  「影の鹿角に出会えば、魂を奪われる」  「森のカムイが怒っているのかもしれない」

しかし、森を愛するひとりの少年は、  その噂に心を奪われていた。

名を シリ・ポロ・カムイ――  森の声を聞くことができる少年だった。

■ 影の鹿角との遭遇

ある夜、少年は森を歩いていた。

月は細く、  風は弱く、  森は静かだった。

そのとき――  木々の間で、黒い影が揺れた。

カツ……カツ……

足音のような音がした。

少年が目を凝らすと、  そこには鹿の角があった。

しかし、角には体がなかった。  角だけが影のように揺れ、  ゆっくりと森を歩いていた。

「……本当に……歩いてる……」

角は少年に気づくと、  ふっと影を揺らした。

「……ついてこい……」

声は聞こえなかったが、  角は確かにそう語っていた。

少年は迷わず後を追った。

■ 影の鹿角の正体

角は森の奥へ進み、  やがて古い大木の前で止まった。

その大木は、  森の守り神 キムン・ニレ の木だった。

しかし、木は弱っていた。

幹はひび割れ、  葉はしおれ、  根は乾いていた。

少年は驚いた。

「キムン・ニレさま……どうして……?」

そのとき、影の鹿角が揺れ、  低い声が響いた。

「……わたしは……   キムン・ニレの“影の角”……   森の力が弱まり……   わたしは体から離れた……」

少年は息を呑んだ。

「あなたは……鹿のカムイの角じゃなくて……   木の精霊の角……?」

影の角は静かに頷いた。

「キムン・ニレは森の守り神……   その力は“角”に宿る……   だが、森が弱れば……角も影となり……   体から離れてしまう……」

少年は胸が痛くなった。

「森が……泣いているんだ……」

■ 森が弱った理由

影の角は言った。

「森が弱ったのは……   “影の病” が広がっているからだ……   影が濃くなり……   木々の心を覆っている……   このままでは……森は死ぬ……」

少年は震えながら言った。

「影の病……?  どうすれば治せるの……?」

影の角は答えた。

「森の“影の根” を探し……  影をほどくのだ……  影の根は……森の底にある……  だが、影の根は……心を試す……  弱い心は……影に飲まれる……」

少年は決意した。

「ぼくが行く。  森を救うために」

影の角は揺れた。

「……ならば……わたしが道を示そう……  影の鹿角は……森の影を読む……  ついてこい……」

■ 影の根へ

影の角は森の奥へ進み、  少年はその後を追った。

森は次第に暗くなり、  影は濃くなり、  風は止まった。

やがて、地面に黒い裂け目が現れた。

「ここが……影の根……」

裂け目の奥から、  影のような根が伸びていた。

根は生き物のように揺れ、  森の力を吸い取っていた。

少年は震えながらも進んだ。

「森を……救うんだ……」

■ 影の根の試練

影の根は少年の心に語りかけた。

「……おまえは弱い……   森を救う力などない……   影に飲まれよ……」

少年は胸を押さえた。

――ぼくは弱い。  ――森を救えるのか。  ――影に勝てるのか。

そのとき、影の角が強く揺れた。

「心を強く持て……   影は心の揺れを喰う……   おまえの心が揺れれば……   影は増える……」

少年は深く息を吸った。

「ぼくは弱いかもしれない。   でも、森が好きだ。   森を救いたい。   その気持ちは……影に負けない!」

その瞬間、  影の根が揺れ、  黒い影がほどけていった。

影の角が光り、  森の底に光が差し込んだ。

■ 森の復活

影の根が消えると、  森の木々は息を吹き返した。

キムン・ニレの木も、  幹が光り、葉が蘇り、  根が力強く大地を掴んだ。

影の角は木の幹へ戻り、  光に包まれて消えた。

キムン・ニレの声が響いた。

「……ありがとう……   おまえの心が……森を救った……   影は……恐れるものではない……   影は……心の揺れ……   心が整えば……影も整う……」

少年は深く頭を下げた。

■ その後の世界

森は再び緑を取り戻し、  動物たちは安心して暮らした。

村人たちは言った。

「影の鹿角は、森を守るために歩いていたのだ」  「森が弱ると、影の角が現れる」  「森を救ったのは、あの少年だ」

そして、夜の森で影が揺れると、  人々はこう言うようになった。

「あれは、森を歩く影の鹿角が  森の心を見守っている証だ」

影の鹿角は今日も静かに森を巡り、  森の影と心の均衡を守り続けている。