| Tweet 「アイヌ神話・民話体系」全60話 風の穴に落ちた少年https://ganta.sa-suke.com/1021.html | |
Ⅰ 自然とカムイの章(1〜15話) 第1話 風のカムイが最初に歌った日 第2話 大地を抱くクマのカムイ 第3話 川の女神トゥラノの涙 第4話 火のカムイと雪のカムイの争い 第5話 海霧を運ぶシャチの精霊 第6話 森の影を食べるフクロウの伝承 第7話 山の心臓が鳴る夜 第8話 雷のカムイが子を授ける話 第9話 霧の中で迷う鹿の魂 第10話 星を拾った少年 第11話 氷の裂け目に住む古い神 第12話 風を縫う少女と草原の歌 第13話 湖の底の鏡の国 第14話 木の根が語る千年前の記憶 第15話 太陽を背負ったカラスの旅 Ⅱ 生活と知恵の章(16〜30話)第16話 最初のアットゥシ織り Ⅲ 戦いと民族の記憶の章(31〜50話)第31話 森を歩く影の鹿角
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第21話 風の穴に落ちた少年 世界がまだ若く、風のカムイが歌い、大地のクマのカムイが眠りを守り、川の女神トゥラノが涙で森を癒し、海のシャチの精霊が霧を運び、影の舟が夜の海を渡り、雪原には霜をまとう鹿の王が歩き、草原には風を縫う少女の歌が響いていたころ。 その森の外れに、ひとつの奇妙な場所があった。 そこは 風の穴(レラ・アナ) と呼ばれ、 地面にぽっかりと開いた深い穴だった。 穴の底からは風が吹き上がり、 時に歌い、時に叫び、時に泣くような音を立てた。 村人たちは決して近づかなかった。 「風の穴に落ちれば、風にさらわれる」 「風のカムイの怒りに触れる」 「戻ってこられない」 そう言われていた。 しかし、その穴に興味を持つ少年がいた。 名を カムイ・シリ・ポロ―― 大地のクマのカムイの血を引く、勇気ある少年だった。 ■ 風の穴への興味カムイ・シリ・ポロは幼いころから、 風の音を聞くのが好きだった。 風が木々を揺らす音、 草原を走る音、 川の上を滑る音。 そして、風の穴から聞こえる不思議な声。 「……おいで……」 「……たすけて……」 「……ここは……風の底……」 少年はその声に惹かれた。 「風の穴の底には、何があるんだろう。 風のカムイが住んでいるのかな」 村人たちは止めた。 「近づくな。 風の穴は危険だ」 しかし、少年の好奇心は止まらなかった。 ■ 風の穴に落ちるある日、少年は風の穴の近くまで行き、 耳を澄ませた。 そのとき、強い風が吹き上がり、 足元の土が崩れた。 「うわっ……!」 少年は穴の中へ落ちてしまった。 風が渦を巻き、 少年の体を包み、 深い闇へと引きずり込んだ。 「たすけて……!」 しかし、声は風に飲まれ、 誰にも届かなかった。 ■ 風の底の世界少年が目を開けると、 そこは奇妙な世界だった。 空は逆さまに揺れ、 地面は風でできており、 木々は風の形をしていた。 「ここは……どこだ……?」 そのとき、風の中から声がした。 「ここは 風の底(レラ・シタ)。 風が生まれ、風が眠る場所」 少年の前に、 透明な体をした少女が現れた。 少女は風のように揺れ、 髪は空気の流れそのものだった。 「わたしは レラ・メノコ。 風の底に囚われた者」 少年は驚いた。 「囚われた……? どうして?」 レラ・メノコは悲しげに言った。 「わたしは風の歌を聞きすぎた。 風の心に触れすぎた。 そのせいで、風の底に引きずり込まれたの」 少年は息を呑んだ。 「じゃあ……ぼくもここから出られないの?」 レラ・メノコは首を振った。 「あなたはまだ大丈夫。 風の底に完全に飲まれていない。 でも、早くしないと…… あなたも風の一部になってしまう」 ■ 風の底の試練少年は出口を探したが、 風の底には道がなかった。 風が渦を巻き、 方向を変え、 少年を迷わせた。 レラ・メノコは言った。 「風の底から出るには、 風の心を理解しなければならない」 「風の心……?」 「風は自由。 でも、自由すぎると迷う。 風は優しい。 でも、優しすぎると弱る。 風は強い。 でも、強すぎると壊す」 少年は考えた。 「じゃあ……どうすればいいの?」 レラ・メノコは微笑んだ。 「あなた自身の風を見つけるの。 あなたの心の風を」 その瞬間、 風の底が揺れ、 巨大な風の獣が現れた。 「……ここから……出すわけには……いかぬ…… 風は……風のまま……ここに……」 それは 風の守り手(レラ・カムイ・ホロ) だった。 ■ 風の守り手との対峙風の守り手は、 少年とレラ・メノコを包み込もうとした。 「風は……自由を恐れる…… 外へ出れば……風は乱れる…… だから……ここにいろ……」 少年は叫んだ。 「ぼくは外に帰りたい! 風は外で吹くものだ!」 風の守り手は揺れた。 「……外の風は……痛い…… 冷たい…… 怖い……」 レラ・メノコが言った。 「風よ、あなたは外の世界を恐れているだけ。 でも、風は外でこそ生きる。 あなたが守っているのは、 風ではなく“恐れ”よ」 少年は胸に手を当てた。 「ぼくの風は……外に吹きたい。 ぼくは自由に生きたい。 だから、ここから出る!」 その瞬間、 少年の胸から風が吹き出し、 風の底を揺らした。 風の守り手は驚いた。 「……これが…… おまえの……風……?」 少年は頷いた。 「ぼくの風は、外の世界で吹くための風だ!」 風の守り手は静かに消え、 風の底に道が開いた。 ■ 風の底からの帰還レラ・メノコは少年に言った。 「あなたは帰れる。 でも、わたしは……」 少年は首を振った。 「いっしょに帰ろう!」 レラ・メノコは悲しげに微笑んだ。 「わたしは風の底の一部になってしまった。 外へ出れば、風に溶けてしまう」 少年は涙をこぼした。 「そんな……!」 レラ・メノコは優しく少年の手を握った。 「あなたの風が、わたしを外へ運んでくれる日が来るかもしれない。 でも今は……行きなさい。 あなたの風を外で吹かせて」 少年は頷き、 風の道を駆け上がった。 光が差し込み、 少年は風の穴から外へ飛び出した。 ■ その後の世界少年が戻ると、 風のカムイ・レラが言った。 「おまえは風の底を見た者。 風の心を知る者だ。 これからも、おまえの風を大切に吹かせ」 少年は空を見上げた。 風が優しく吹き、 どこかでレラ・メノコの声が聞こえた気がした。 そして、風の穴のそばを通ると、 人々はこう言うようになった。 「あの穴から風が歌う夜は、 風の底の少女が少年を見守っているのだ」 風の穴は今日も静かに息をし、 風の底には、少年の風が届く日を待つ少女がいる。 |