「アイヌ神話・民話体系」全60話 第30話 海底に沈んだ風の鈴https://ganta.sa-suke.com/1030.html

Ⅰ 自然とカムイの章(1〜15話)

第1話 風のカムイが最初に歌った日
第2話 大地を抱くクマのカムイ
第3話 川の女神トゥラノの涙
第4話 
火のカムイと雪のカムイの争い
第5話 海霧を運ぶシャチの精霊
第6話 森の影を食べるフクロウの伝承
第7話 山の心臓が鳴る夜
第8話 雷のカムイが子を授ける話
第9話 霧の中で迷う鹿の魂
第10話 星を拾った少年
第11話 氷の裂け目に住む古い神
第12話 風を縫う少女と草原の歌
第13話 湖の底の鏡の国
第14話 木の根が語る千年前の記憶
第15話 太陽を背負ったカラスの旅

Ⅱ 生活と知恵の章(16〜30話)

第16話 最初のアットゥシ織り
第17話 狩人と弓の精霊の契約
第18話 鮭を呼ぶ歌の誕生
第19話 村を救った薬草の物語
第20話 海を渡る影の船
第21話 風の穴に落ちた少年
第22話 火の鳥が落とした赤い羽
第23話 熊送りの儀式が生まれた日
第24話 星を喰べた山の巨人
第25話 霧の森で笑う子どもたち
第26話 夜明けを運ぶ白い狼
第27話 影を縫う蜘蛛の巣
第28話 風の骨を拾う少年
第29話 月影を抱く黒鹿の旅
第30話 海底に沈んだ風の鈴

Ⅲ 戦いと民族の記憶の章(31〜50話)

第31話 森を歩く影の鹿角
第32話 雪を食べる白い影
第33話 風を忘れた山の梟
第34話 影を渡る黒い舟
第35話 星明かりを飲む黒い鳥
第36話 夜の川を渡る赤い魚
第37話 影を食べる黒い霧
第38話 風の底で眠る青い石
第39話 最後の戦いと雪嵐の夜
第40話 霧の海で歌う青い鯨
第41話 影の森で眠る黒い花
第42話 星の底で笑う赤い面
第43話 風の声を盗む黒い羽
第44話 雪の底で笑う白い面
第45話 夜明けを盗む黒い狼
第46話 影の海で眠る青い面
第47話 風の森で泣く白い鳥
第48話 月の森で歌う黒い鹿
第49話 影の谷で眠る赤い狐
第50話 風の底で歌う白い面

Ⅳ 星・海・影・雪・風 「鳥・鯨・狐・面・鹿」(51〜60話)

第51話 星の森で眠る青い鳥
第52話 海の底で笑う黒い鯨
第53話 影の森で歌う白い狐
第54話 雪の森で眠る黒い面
第55話 風の影で笑う青い狐
第56話 月の底で眠る白い鳥
第57話 影の底で笑う黒い鳥
第58話 風の森で眠る赤い鳥
第59話 星の底で笑う白い狐
第60話 雪の底で歌う黒い鹿

第30話 海底に沈んだ風の鈴

世界がまだ若く、風のカムイが歌い、大地のクマのカムイが眠りを守り、火の鳥が赤い羽を広げ、白い狼が夜明けを運び、黒鹿が月影を抱いて旅をし、風の骨を拾った少年が風を救ったころ。  その海の底で、静かに揺れるひとつの音があった。

チリン……チリン……

それは、風の鈴の音だった。

しかし、海の底に風は吹かない。  風の鈴が鳴るはずがない。

海のシャチの精霊、レタラ・レプンはその音を聞き、  胸に不安を覚えた。

「海の底で……風の鈴が鳴っている……   これは、ただ事ではない」

風の鈴は、風のカムイが地上に残した贈り物。  風が吹けば鳴り、  風が止まれば静かになる。

その鈴が海底で鳴るということは――  風が海に囚われている ということだった。

■ 風の鈴を拾う少女

海辺の村に、  風の鈴の音を聞き分ける少女がいた。

名を カナリ・メノコ。  風の音を愛し、  海の歌を聞くことができる少女だった。

ある朝、海辺で鈴の音を聞いた。

チリン……チリン……

しかし、風は吹いていなかった。

「……海の底から……聞こえる……?」

少女は海に耳を澄ませた。

「……たすけて……   わたしは……風の鈴……   風が……海に囚われた……」

カナリ・メノコは驚いた。

「風が……海に……?」

そのとき、海のシャチの精霊レタラ・レプンが  海面を割って現れた。

「カナリ・メノコよ、   風の鈴の声を聞いたのだな」

少女は頷いた。

「風が海に囚われたって……本当なの?」

レタラ・レプンは深くうなずいた。

「“海底の渦” が風を飲み込んだ。   風がなければ、海は呼吸を失う。   世界の均衡が乱れる」

少女は決意した。

「わたしが風の鈴を取り戻す!   風を海から救う!」

■ 海底への旅

レタラ・レプンは少女を背に乗せ、  海の底へ向かった。

海は深く、  光は弱まり、  水は冷たくなった。

やがて、海底に巨大な渦が現れた。

渦は黒く、  海の影を吸い込み、  風の鈴を抱え込んでいた。

チリン……チリン……

鈴の音は弱く、  まるで泣いているようだった。

カナリ・メノコは叫んだ。

「風の鈴! 今助けるから!」

そのとき、渦の中心から声が響いた。

「……風は……うるさい……   海は……静かでいたい……   だから……風を閉じ込めた……」

それは、  海底の渦の主(ウズ・カムイ) だった。

■ 渦の主との対話

渦の主は、  海の影と水の流れが混ざり合ったような姿をしていた。

「風は……海を乱す……   波を荒らし……   海を騒がせる……   だから……閉じ込めた……」

カナリ・メノコは首を振った。

「風は海を乱すために吹いてるんじゃない!   海を動かし、海を生かすために吹いてるの!」

渦の主は揺れた。

「……海は……静かでいたい……   風は……こわい……   風が来ると……わたしは……形を失う……」

少女は優しく言った。

「風はあなたを壊さない。   風があるから、海は呼吸できる。   風があるから、海は生きている。   あなたも海の一部なんだよ」

渦の主は震えた。

「……わたしは……   海の一部……?」

「そう。   だから、風を閉じ込めちゃだめ。   海も風も、いっしょに世界を動かしているの」

■ 風の鈴の解放

渦の主はゆっくりと渦を弱めた。

「……わかった……   風を……返そう……   海は……風とともに……生きる……」

渦がほどけ、  風の鈴が光を取り戻した。

チリン……チリン……

今度は、  優しい風の音だった。

風の鈴は少女の手の中へ飛び込み、  温かく震えた。

「……ありがとう……   わたしは……風の心……   あなたのおかげで……戻れた……」

レタラ・レプンは海面へ向かって泳ぎ出した。

■ 風の帰還

海面に戻ると、  風が吹き始めた。

海は波を立て、  空は明るくなり、  風の鈴は軽やかに鳴った。

村人たちは驚いた。

「風が戻った!」  「海が息をしている!」  「風の鈴が鳴っている!」

カナリ・メノコは風の鈴を掲げた。

「風は海と仲直りしたよ。   もう大丈夫」

風は少女の髪を揺らし、  海は優しく波を寄せた。

■ その後の世界

それ以来、  海辺で風の鈴が鳴ると、  人々はこう言うようになった。

「あれは、海底に沈んだ風の鈴が  風と海の仲を確かめている音だ」

風の鈴は今日も海辺で揺れ、  風と海の物語を静かに歌っている。