「アイヌ神話・民話体系」全60話 第27話 影を縫う蜘蛛の巣https://ganta.sa-suke.com/1027.html

Ⅰ 自然とカムイの章(1〜15話)

第1話 風のカムイが最初に歌った日
第2話 大地を抱くクマのカムイ
第3話 川の女神トゥラノの涙
第4話 
火のカムイと雪のカムイの争い
第5話 海霧を運ぶシャチの精霊
第6話 森の影を食べるフクロウの伝承
第7話 山の心臓が鳴る夜
第8話 雷のカムイが子を授ける話
第9話 霧の中で迷う鹿の魂
第10話 星を拾った少年
第11話 氷の裂け目に住む古い神
第12話 風を縫う少女と草原の歌
第13話 湖の底の鏡の国
第14話 木の根が語る千年前の記憶
第15話 太陽を背負ったカラスの旅

Ⅱ 生活と知恵の章(16〜30話)

第16話 最初のアットゥシ織り
第17話 狩人と弓の精霊の契約
第18話 鮭を呼ぶ歌の誕生
第19話 村を救った薬草の物語
第20話 海を渡る影の船
第21話 風の穴に落ちた少年
第22話 火の鳥が落とした赤い羽
第23話 熊送りの儀式が生まれた日
第24話 星を喰べた山の巨人
第25話 霧の森で笑う子どもたち
第26話 夜明けを運ぶ白い狼
第27話 影を縫う蜘蛛の巣
第28話 風の骨を拾う少年
第29話 月影を抱く黒鹿の旅
第30話 海底に沈んだ風の鈴

Ⅲ 戦いと民族の記憶の章(31〜50話)

第31話 森を歩く影の鹿角
第32話 雪を食べる白い影
第33話 風を忘れた山の梟
第34話 影を渡る黒い舟
第35話 星明かりを飲む黒い鳥
第36話 夜の川を渡る赤い魚
第37話 影を食べる黒い霧
第38話 風の底で眠る青い石
第39話 最後の戦いと雪嵐の夜
第40話 霧の海で歌う青い鯨
第41話 影の森で眠る黒い花
第42話 星の底で笑う赤い面
第43話 風の声を盗む黒い羽
第44話 雪の底で笑う白い面
第45話 夜明けを盗む黒い狼
第46話 影の海で眠る青い面
第47話 風の森で泣く白い鳥
第48話 月の森で歌う黒い鹿
第49話 影の谷で眠る赤い狐
第50話 風の底で歌う白い面

Ⅳ 星・海・影・雪・風 「鳥・鯨・狐・面・鹿」(51〜60話)

第51話 星の森で眠る青い鳥
第52話 海の底で笑う黒い鯨
第53話 影の森で歌う白い狐
第54話 雪の森で眠る黒い面
第55話 風の影で笑う青い狐
第56話 月の底で眠る白い鳥
第57話 影の底で笑う黒い鳥
第58話 風の森で眠る赤い鳥
第59話 星の底で笑う白い狐
第60話 雪の底で歌う黒い鹿

第27話 影を縫う蜘蛛の巣

世界がまだ若く、風のカムイが歌い、大地のクマのカムイが眠りを守り、川の女神トゥラノが森を癒し、火の鳥が赤い羽を広げ、白い狼が夜明けを運び、霧の子どもたちが森へ還ったころ。  その森の奥深くには、誰も近づかない暗い谷があった。

谷は昼でも薄暗く、  木々は影をまとい、  風は影のように冷たかった。

村人たちはそこを カゲ・ヌイ・コタン――  「影を縫う村」と呼び、恐れていた。

なぜなら、その谷には  影を縫う蜘蛛 が住んでいると伝えられていたからだ。

その蜘蛛は、  影を糸に変え、  影を布のように編み、  影を縫い合わせて巣を作るという。

そして、影を失った者は、  その巣に囚われると言われていた。

■ 影を失った少女

ある日、村の少女 エトゥ・メノコ が  自分の影が薄くなっていることに気づいた。

朝の光の中で、  彼女の影はぼんやりと揺れ、  まるで霧のように薄かった。

「……どうして……   わたしの影が……消えそう……?」

影が薄くなるということは、  心が弱り、魂が揺らいでいる証。

村人たちは心配した。

「影を縫う蜘蛛に狙われたのかもしれない」  「影が薄くなると、巣に引きずり込まれるぞ」  「影を取り戻さねば……」

エトゥ・メノコは震えながら言った。

「わたし……どうすればいいの……?」

そのとき、影を読む狐、  レクン・カムイ が現れた。

「影が薄くなるのは、影が“呼ばれている”からだ。   影を縫う蜘蛛が、おまえの影を求めている」

少女は息を呑んだ。

「わたしの影が……奪われるの……?」

レクン・カムイは首を振った。

「奪われるのではない。   影が“帰ろうとしている”のだ。   影の巣へ。   影の糸に縫われるために」

エトゥ・メノコは決意した。

「わたし、自分の影を追いかける。   影を取り戻す!」

■ 影の谷へ

レクン・カムイが影の道を示し、  エトゥ・メノコは谷へ向かった。

谷は暗く、  木々は影を垂らし、  風は影のように冷たかった。

やがて、巨大な蜘蛛の巣が現れた。

巣は黒く、  糸は影のように揺れ、  光を吸い込んでいた。

その中心に、  影を縫う蜘蛛――  カゲ・アトゥイ・チセ がいた。

蜘蛛は六つの目を光らせ、  影の糸を器用に操っていた。

「……来たか……   影の薄い娘よ……   おまえの影は……わたしの巣にふさわしい……」

エトゥ・メノコは震えながら言った。

「わたしの影を返して!」

蜘蛛は糸を揺らした。

「返す……?   影は返すものではない……   影は縫うもの……   影は織るもの……   影は……わたしの糸……」

■ 影を縫う理由

エトゥ・メノコは叫んだ。

「どうして影を縫うの!   影は人の一部なのに!」

蜘蛛は静かに言った。

「影は……心のほつれ……   心が乱れれば……影は裂ける……   裂けた影を縫うのが……わたしの役目……」

少女は驚いた。

「影を……奪うんじゃなくて……   影を……直しているの……?」

蜘蛛は頷いた。

「おまえの影は……裂けている……   心が揺れ……   自分を嫌い……   影が耐えられなくなった……   だから……わたしのもとへ来た……   縫われるために……」

エトゥ・メノコは胸に手を当てた。

「わたし……   最近、自分が嫌だった……   何をしても上手くいかなくて……   自分の影を見るのが怖かった……」

蜘蛛は糸を揺らした。

「影は……おまえの心の形……   心が裂ければ……影も裂ける……   影を縫うには……   おまえ自身が……心を縫わねばならぬ……」

■ 心を縫う試練

蜘蛛は影の糸を少女に渡した。

「この糸で……自分の心を縫え……   心が整えば……影も整う……   影は……おまえの心の鏡……」

エトゥ・メノコは糸を握りしめた。

「わたしの心を……縫う……?」

レクン・カムイが言った。

「影を取り戻すには、   心の裂け目を見つけ、   それを受け入れ、   縫い合わせるしかない」

少女は目を閉じた。

――わたしは弱い。  ――わたしは失敗ばかり。  ――わたしは自分が嫌い。

その思いが胸に刺さった。

しかし、少女は糸を動かし、  心の裂け目を縫い始めた。

「弱くてもいい。   失敗してもいい。   それでも……わたしはわたしだ……」

糸が光り、  心の裂け目がゆっくりと閉じていった。

■ 影の帰還

影の巣が揺れ、  少女の影が姿を現した。

影は震えながら言った。

「……わたしは……   エトゥ・メノコの影……   でも……   あなたが自分を嫌ったから……   わたしは裂けてしまった……」

少女は影に手を伸ばした。

「ごめんね……   でも、もう大丈夫。   わたしは自分を嫌わない。   影といっしょに生きる」

影は少女の足元へ戻り、  しっかりと形を取り戻した。

蜘蛛は満足げに言った。

「影は……縫われた……   おまえの心が……影を整えた……   もう……裂けることはない……」

■ その後の世界

エトゥ・メノコが村へ戻ると、  影は濃く、しっかりと地面に落ちていた。

村人たちは驚いた。

「影が戻った!」  「影を縫う蜘蛛に勝ったのか?」  「いや……影を直したのだ……」

エトゥ・メノコは微笑んだ。

「影は心の形。   心を大切にすれば、影も強くなるんだよ」

そして、夕暮れに影が長く伸びると、  人々はこう言うようになった。

「影が揺れる夜は、  影を縫う蜘蛛が、  誰かの心をそっと縫っているのだ」

影の谷は今日も静かに息をし、  その奥では、影を縫う蜘蛛が  世界の影をそっと整えている。