「アイヌ神話・民話体系」全60話 第20話 海を渡る影の舟https://ganta.sa-suke.com/1020.html

Ⅰ 自然とカムイの章(1〜15話)

第1話 風のカムイが最初に歌った日
第2話 大地を抱くクマのカムイ
第3話 川の女神トゥラノの涙
第4話 
火のカムイと雪のカムイの争い
第5話 海霧を運ぶシャチの精霊
第6話 森の影を食べるフクロウの伝承
第7話 山の心臓が鳴る夜
第8話 雷のカムイが子を授ける話
第9話 霧の中で迷う鹿の魂
第10話 星を拾った少年
第11話 氷の裂け目に住む古い神
第12話 風を縫う少女と草原の歌
第13話 湖の底の鏡の国
第14話 木の根が語る千年前の記憶
第15話 太陽を背負ったカラスの旅

Ⅱ 生活と知恵の章(16〜30話)

第16話 最初のアットゥシ織り
第17話 狩人と弓の精霊の契約
第18話 鮭を呼ぶ歌の誕生
第19話 村を救った薬草の物語
第20話 海を渡る影の船
第21話 風の穴に落ちた少年
第22話 火の鳥が落とした赤い羽
第23話 熊送りの儀式が生まれた日
第24話 星を喰べた山の巨人
第25話 霧の森で笑う子どもたち
第26話 夜明けを運ぶ白い狼
第27話 影を縫う蜘蛛の巣
第28話 風の骨を拾う少年
第29話 月影を抱く黒鹿の旅
第30話 海底に沈んだ風の鈴

Ⅲ 戦いと民族の記憶の章(31〜50話)

第31話 森を歩く影の鹿角
第32話 雪を食べる白い影
第33話 風を忘れた山の梟
第34話 影を渡る黒い舟
第35話 星明かりを飲む黒い鳥
第36話 夜の川を渡る赤い魚
第37話 影を食べる黒い霧
第38話 風の底で眠る青い石
第39話 最後の戦いと雪嵐の夜
第40話 霧の海で歌う青い鯨
第41話 影の森で眠る黒い花
第42話 星の底で笑う赤い面
第43話 風の声を盗む黒い羽
第44話 雪の底で笑う白い面
第45話 夜明けを盗む黒い狼
第46話 影の海で眠る青い面
第47話 風の森で泣く白い鳥
第48話 月の森で歌う黒い鹿
第49話 影の谷で眠る赤い狐
第50話 風の底で歌う白い面

Ⅳ 星・海・影・雪・風 「鳥・鯨・狐・面・鹿」(51〜60話)

第51話 星の森で眠る青い鳥
第52話 海の底で笑う黒い鯨
第53話 影の森で歌う白い狐
第54話 雪の森で眠る黒い面
第55話 風の影で笑う青い狐
第56話 月の底で眠る白い鳥
第57話 影の底で笑う黒い鳥
第58話 風の森で眠る赤い鳥
第59話 星の底で笑う白い狐
第60話 雪の底で歌う黒い鹿

第20話 海を渡る影の舟

世界がまだ若く、風のカムイが歌い、大地のクマのカムイが眠りを守り、川の女神トゥラノが涙で森を癒し、海のシャチの精霊が霧を運び、影を食べるフクロウが森の均衡を整え、山の心臓が静かに脈打ち、雷のカムイが空を駆け、風を縫う少女が草原に歌を残し、湖の底には鏡の国が眠り、木の根が千年前の記憶を語り、太陽を背負ったカラスが空を巡り、影の狐が雪原を渡り、霜をまとう鹿の王が冬を守っていたころ。  その海のさらに向こう、誰も知らぬ暗い水面に、ひっそりと揺れる舟があった。

舟は黒く、影のように薄く、  波に触れても音を立てなかった。

その舟を操るのは、  カゲ・フネ・カムイ――  「影の舟の精霊」と呼ばれる存在だった。

彼は海の影を集め、  夜の海を渡り、  迷った魂を運ぶ役目を持っていた。

しかし、その年の春――  影の舟が姿を消した。

■ 影の舟が消えた海

海の上では、奇妙なことが起きていた。

夜の海に影が落ちず、  波は光を反射するばかりで、  海鳥たちは夜の道を見失った。

レタラ・レプン――  海霧を運ぶ若いシャチの精霊は、  海の底から異変を感じ取った。

「影が……ない。   海の影が消えている……   これは影の舟が動いていない証だ」

川の女神トゥラノは海へ向かい、  波の揺らぎを読み取った。

「海の影が凍りついている……   影が動かない……   影の舟が囚われているのです」

風のカムイ・レラは空を飛びながら言った。

「影の舟がなければ、   夜の海は魂の道を失う。   海は迷い、風も迷う」

海の生き物たちは不安に震えた。

「影の舟はどこへ行ったのだ」  「海の底に沈んだのか」  「それとも、影を奪われたのか」

そのとき、海の底から弱い声が響いた。

「……たすけて……   影が……奪われた……」

それは、影の舟の精霊、カゲ・フネ・カムイの声だった。

■ 影の舟の危機

レタラ・レプンは海の底へ潜り、  影の舟を探した。

やがて、深い海溝の奥で、  黒い舟が沈んでいるのを見つけた。

舟は影を失い、  ただの黒い木片のように見えた。

そのそばで、  カゲ・フネ・カムイが弱々しく揺れていた。

「レタラ・レプン……   わたしの影が……奪われた……   影がなければ……舟は動かない……   魂を運べない……」

レタラ・レプンは驚いた。

「影を奪ったのは誰だ」

カゲ・フネ・カムイは震えながら言った。

「海の底に眠る……   “影の渦”……   古い影の亡霊が……   影を飲み込んだ……」

レタラ・レプンは決意した。

「ならば、影を取り戻そう。   影の渦を探しに行く」

カゲ・フネ・カムイは首を振った。

「影の渦は……危険だ……   近づけば……影を奪われる……   おまえの光も……飲まれる……」

しかし、レタラ・レプンは揺るがなかった。

「海を守るのは、ぼくの役目だ。   影の舟がなければ、海は迷う。   だから行く」

■ 影の渦へ

レタラ・レプンは海の底を進み、  影の渦が眠る場所へ向かった。

そこは光が届かず、  海の闇が渦を巻く場所だった。

やがて、巨大な影の渦が現れた。

渦は黒く、冷たく、  海の影を吸い込み続けていた。

レタラ・レプンは叫んだ。

「影を返せ!   影は海のものだ!」

渦は低くうめいた。

「……影は……わたしのもの……   光がこわい……   影を集めて……眠りたい……」

レタラ・レプンは近づき、  渦の中心を見つめた。

そこには、  小さな影の子が震えていた。

「……こわい……   光が……こわい……   だから影を集めた……」

レタラ・レプンは優しく言った。

「影の子よ、光はおまえを消さない。   光があるから影は生まれる。   影は光の友だ」

影の子は揺れた。

「……ほんとう……?」

「ほんとうだ。   影がなければ、海は形を失う。   おまえの影は、海に必要なんだ」

影の子は涙のような影をこぼし、  渦が静かにほどけていった。

影が海へ戻り、  影の舟のもとへ流れていった。

■ 影の舟の復活

レタラ・レプンが戻ると、  影の舟は黒く輝き、  カゲ・フネ・カムイの体に影が戻っていた。

「……戻った……   わたしの影が……戻った……!」

影の舟は静かに浮かび上がり、  海の上へ向かって進み始めた。

カゲ・フネ・カムイはレタラ・レプンに言った。

「おまえは海の光だ。   影を恐れず、影を救った。   これからも海を守ってくれ」

レタラ・レプンは胸を張った。

「もちろんだ。   海はぼくの家だから」

■ その後の世界

影の舟が戻った夜、  海には再び影が落ちた。

波は影を揺らし、  海鳥たちは夜の道を読み、  海の底には静かな影が眠った。

そして、月が海を照らす夜には、  人々はこう言う。

「あれは、影の舟が海を渡っているのだ」

影の舟は今も夜の海を渡り、  迷った魂を静かに導いている。