「アイヌ神話・民話体系」全60話 第19話 村を救った薬草の物語https://ganta.sa-suke.com/1019.html

Ⅰ 自然とカムイの章(1〜15話)

第1話 風のカムイが最初に歌った日
第2話 大地を抱くクマのカムイ
第3話 川の女神トゥラノの涙
第4話 
火のカムイと雪のカムイの争い
第5話 海霧を運ぶシャチの精霊
第6話 森の影を食べるフクロウの伝承
第7話 山の心臓が鳴る夜
第8話 雷のカムイが子を授ける話
第9話 霧の中で迷う鹿の魂
第10話 星を拾った少年
第11話 氷の裂け目に住む古い神
第12話 風を縫う少女と草原の歌
第13話 湖の底の鏡の国
第14話 木の根が語る千年前の記憶
第15話 太陽を背負ったカラスの旅

Ⅱ 生活と知恵の章(16〜30話)

第16話 最初のアットゥシ織り
第17話 狩人と弓の精霊の契約
第18話 鮭を呼ぶ歌の誕生
第19話 村を救った薬草の物語
第20話 海を渡る影の船
第21話 風の穴に落ちた少年
第22話 火の鳥が落とした赤い羽
第23話 熊送りの儀式が生まれた日
第24話 星を喰べた山の巨人
第25話 霧の森で笑う子どもたち
第26話 夜明けを運ぶ白い狼
第27話 影を縫う蜘蛛の巣
第28話 風の骨を拾う少年
第29話 月影を抱く黒鹿の旅
第30話 海底に沈んだ風の鈴

Ⅲ 戦いと民族の記憶の章(31〜50話)

第31話 森を歩く影の鹿角
第32話 雪を食べる白い影
第33話 風を忘れた山の梟
第34話 影を渡る黒い舟
第35話 星明かりを飲む黒い鳥
第36話 夜の川を渡る赤い魚
第37話 影を食べる黒い霧
第38話 風の底で眠る青い石
第39話 最後の戦いと雪嵐の夜
第40話 霧の海で歌う青い鯨
第41話 影の森で眠る黒い花
第42話 星の底で笑う赤い面
第43話 風の声を盗む黒い羽
第44話 雪の底で笑う白い面
第45話 夜明けを盗む黒い狼
第46話 影の海で眠る青い面
第47話 風の森で泣く白い鳥
第48話 月の森で歌う黒い鹿
第49話 影の谷で眠る赤い狐
第50話 風の底で歌う白い面

Ⅳ 星・海・影・雪・風 「鳥・鯨・狐・面・鹿」(51〜60話)

第51話 星の森で眠る青い鳥
第52話 海の底で笑う黒い鯨
第53話 影の森で歌う白い狐
第54話 雪の森で眠る黒い面
第55話 風の影で笑う青い狐
第56話 月の底で眠る白い鳥
第57話 影の底で笑う黒い鳥
第58話 風の森で眠る赤い鳥
第59話 星の底で笑う白い狐
第60話 雪の底で歌う黒い鹿

第19話 霜をまとう鹿の王

 世界がまだ若く、風のカムイが歌い、大地のクマのカムイが眠りを守り、川の女神トゥラノが涙で森を癒し、海のシャチの精霊が霧を運び、影を食べるフクロウが森の均衡を整え、山の心臓が静かに脈打ち、雷のカムイが空を駆け、風を縫う少女が草原に歌を残し、湖の底には鏡の国が眠り、木の根が千年前の記憶を語り、太陽を背負ったカラスが空を巡り、影の狐が雪原を渡っていたころ。  その雪原のさらに奥、白い大地の果てに、ひときわ大きな鹿が住んでいた。

その鹿は エトゥン・ユク――  「霜をまとう鹿の王」と呼ばれていた。

彼の体は雪のように白く、  角には霜が降り、  歩けば雪が静かに光った。

エトゥン・ユクは雪原の守り手であり、  冬の精霊たちの長でもあった。

しかし、その年の冬――  雪原に異変が起きた。

■ 霜が降りない冬

雪は降るのに、霜だけが降りなかった。

霜が降りなければ、  雪原の草は眠れず、  動物たちは足跡を読めず、  夜の冷気は乱れた。

風のカムイ・レラは雪原を飛びながら言った。

「霜が降りない……   これはただの暖冬ではない。   霜の王が力を失っている」

川の女神トゥラノは雪を触り、  その冷たさに首を振った。

「雪は冷たいのに、霜が生まれない……   霜の源が凍りついているのです」

影の狐レクン・カムイは影を揺らしながら言った。

「霜がなければ、影が落ちない。   影が落ちなければ、夜が形を失う」

動物たちは不安に震えた。

「霜の王はどうしたのだ」  「病に倒れたのか」  「それとも、何かに囚われたのか」

そのとき、雪原の奥から重い足音が響いた。

エトゥン・ユクが姿を現したのだ。

■ 霜の王の苦悩

エトゥン・ユクは大きな体を揺らし、  ゆっくりと雪原を歩いてきた。

しかし、その体には霜がなかった。  角も白く光らず、  歩いても雪が輝かなかった。

レラ・カムイが驚いた。

「エトゥン・ユクよ、どうしたのだ。   おまえの霜が……消えている」

霜の王は重い声で言った。

「霜の源が……凍りついたのだ。   霜は雪の息、   雪の息は大地の鼓動、   大地の鼓動は……弱っている」

トゥラノが眉をひそめた。

「大地の鼓動……   山の心臓が乱れているのですか」

エトゥン・ユクは首を振った。

「いや……   もっと深い場所……   大地の底に眠る“古い冬”が目覚めかけている」

動物たちは震えた。

「古い冬……?」  「それは伝説の……」

エトゥン・ユクは静かに言った。

「古い冬とは、   世界がまだ形を持たなかったころの冬。   すべてを凍らせ、   命を眠らせる力を持つ。   それが目覚めれば、   霜も雪も影も……すべて凍りつく」

レクン・カムイは影を揺らした。

「古い冬を止めるには……?」

エトゥン・ユクは答えた。

「霜の王であるわたしが、   大地の底へ行き、   古い冬を眠らせねばならぬ。   だが……わたしは弱っている。   ひとりでは行けぬ」

■ 霜の王を助ける者

そのとき、雪原の端から  ひとりの若い鹿が現れた。

名を ユク・レタラ――  白い斑を持つ、勇敢な若者だった。

「エトゥン・ユクさま、   ぼくがあなたを支えます。   大地の底へ行く道を、   ぼくが開きます」

エトゥン・ユクは目を細めた。

「若い鹿よ……   大地の底は危険だ。   影が凍り、風が止まり、   水が眠る場所だ」

ユク・レタラは胸を張った。

「それでも行きます。   霜がなければ、雪原は死ぬ。   ぼくたち鹿は、雪原とともに生きている。   だから、ぼくは行かねばならない」

レラ・カムイは風を揺らした。

「わたしも行こう。   風がなければ道は読めぬ」

トゥラノは水を揺らした。

「わたしも力を貸します。  大地の底には水脈がある。  水は道を知っている」

レクン・カムイは影を揺らした。

「影も必要だ。  古い冬は光を凍らせる。  影ならば進める」

こうして、  霜の王と若い鹿、  風と水と影の旅が始まった。

■ 大地の底へ

大地の裂け目は深く、  冷たい光が漏れていた。

ユク・レタラが先頭に立ち、  エトゥン・ユクが続き、  風と水と影が道を照らした。

やがて、  大地の底に巨大な氷の塊が見えた。

その中に――  古い冬の精霊が眠っていた。

精霊は白く、  体は氷のように透き通り、  息は冷気そのものだった。

しかし、その目は開きかけていた。

「……さむい……   あたたかさを……消す……   すべてを……凍らせる……」

エトゥン・ユクは前に出た。

「古い冬よ、眠れ。   おまえが目覚めれば、   世界は凍りつく」

古い冬はうめいた。

「……わたしは……冬そのもの……   眠ることなど……できぬ……」

ユク・レタラが叫んだ。

「冬は必要だ!   でも、あなたの冬は強すぎる!   命が眠りすぎてしまう!」

古い冬は揺れた。

「……わたしは……   ただ……孤独だった……   誰も……わたしを……必要としない……」

エトゥン・ユクは静かに言った。

「必要としている。   冬は世界に必要だ。   だが、強すぎてはならぬ。   わたしが、おまえの力を受け継ごう。   おまえは眠れ。   わたしが冬を守る」

古い冬は目を閉じ、  氷の中へ沈んでいった。

その瞬間、  霜の源が光り、  エトゥン・ユクの体に霜が戻った。

■ 霜の王の復活

エトゥン・ユクは立ち上がり、  角に白い霜が降りた。

「……戻った……   わたしの霜が……戻った……!」

ユク・レタラは喜んだ。

「エトゥン・ユクさま!」

レラ・カムイは風を吹かせ、  トゥラノは水を揺らし、 レクン・カムイは影を整えた。

霜の王は雪原へ戻り、  大地に霜を降らせた。

霜は白く輝き、  雪原は静かに息をした。

■ その後の世界

霜が戻った雪原では、  動物たちが夜の道を歩き、  風が霜を鳴らし、  影が雪の上に落ちた。

そして、霜がひときわ美しく輝く朝には、  人々はこう言う。

「あれは、霜をまとう鹿の王が雪原を歩いた跡だ」

エトゥン・ユクは今も雪原を守り、  冬の均衡を保ち続けている。