| Tweet 「アイヌ神話・民話体系」全60話 第32話 雪を食べる白い影https://ganta.sa-suke.com/1032.html | |
Ⅰ 自然とカムイの章(1〜15話) 第1話 風のカムイが最初に歌った日 第2話 大地を抱くクマのカムイ 第3話 川の女神トゥラノの涙 第4話 火のカムイと雪のカムイの争い 第5話 海霧を運ぶシャチの精霊 第6話 森の影を食べるフクロウの伝承 第7話 山の心臓が鳴る夜 第8話 雷のカムイが子を授ける話 第9話 霧の中で迷う鹿の魂 第10話 星を拾った少年 第11話 氷の裂け目に住む古い神 第12話 風を縫う少女と草原の歌 第13話 湖の底の鏡の国 第14話 木の根が語る千年前の記憶 第15話 太陽を背負ったカラスの旅 Ⅱ 生活と知恵の章(16〜30話)第16話 最初のアットゥシ織り Ⅲ 戦いと民族の記憶の章(31〜50話)第31話 森を歩く影の鹿角
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第32話 雪を食べる白い影 世界がまだ若く、風のカムイが歌い、大地のクマのカムイが眠りを守り、火の鳥が赤い羽を広げ、白い狼が夜明けを運び、黒鹿が月影を抱いて旅をし、森を歩く影の鹿角が森の心を整えていたころ。 その冬、雪原に奇妙な異変が起きた。 雪が消えていく。 降り積もったばかりの雪が、 朝になると跡形もなく消えている。 風が吹いたわけでもなく、 太陽が照ったわけでもない。 ただ、雪だけが静かに消えていた。 雪原の動物たちは不安に震えた。 「雪が……食べられている」 「雪を食べるものがいるのか」 「このままでは冬が終わってしまう」 その噂は、雪原の守り手である 霜をまとう鹿の王・エトゥン・ユク の耳にも届いた。 エトゥン・ユクは雪原を歩き、 雪の消えた跡を調べた。 そこには、 白い影のような足跡が残っていた。 「……白い影が、雪を食べている……」 ■ 白い影の正体を追うエトゥン・ユクは雪原の奥へ進み、 白い影の足跡を追った。 足跡は軽く、 雪を踏んでも沈まず、 まるで風のように滑っていた。 やがて、雪原の端で ひとりの少年が現れた。 名を ユキ・シリ・ポロ。 雪の気配を読むことができる少年だった。 少年は鹿の王に言った。 「エトゥン・ユクさま、 雪を食べる白い影を見ました」 鹿の王は目を細めた。 「どんな姿だった」 少年は震えながら答えた。 「白い……人のような影でした。 雪を食べるたびに、 体が少しずつ大きくなっていくんです」 エトゥン・ユクは息を呑んだ。 「それは……“雪喰いの影(ユキ・ホロ・カゲ)” だ」 少年は驚いた。 「雪喰いの影……?」 ■ 雪喰いの影とはエトゥン・ユクは静かに語った。 「雪喰いの影は、 古い冬の残した“白い影”…… 雪を食べて生きる存在だ。 だが、雪を食べすぎれば、 冬そのものが消えてしまう」 少年は青ざめた。 「冬が……消える……?」 「冬が消えれば、 雪原の動物たちは生きられぬ。 雪は眠りの布、 霜は命の息。 それがなくなれば、 世界は乱れる」 少年は拳を握った。 「ぼくも手伝います。 雪喰いの影を止めなければ」 エトゥン・ユクは頷いた。 「ならば、影の気配を追え。 おまえの雪の感覚が必要だ」 ■ 雪喰いの影との遭遇少年と鹿の王は雪原を進み、 やがて白い霧の中でそれを見つけた。 白い影は人の形をしていたが、 輪郭はぼやけ、 体は雪のように淡かった。 影は雪を掬い、 口のない顔に押し当てると、 雪は影の体に吸い込まれていった。 影は雪を食べるたびに、 体が大きく、濃くなっていった。 エトゥン・ユクが叫んだ。 「雪喰いの影よ、やめろ! 雪は世界の息だ!」 白い影はゆっくりと振り向いた。 「……さむい…… さむい…… だから……雪を……食べる…… あたたかく……なりたい……」 少年は驚いた。 「雪を食べると……暖かくなるの?」 影は震えながら言った。 「……雪は……わたしの……記憶…… 雪を食べると…… わたしは……“わたし” に戻れる…… でも……足りない…… もっと……もっと……」 エトゥン・ユクは影の正体に気づいた。 「おまえは…… 古い冬の“忘れられた子” か……」 ■ 忘れられた冬の子雪喰いの影は揺れた。 「……わたしは…… 冬の子…… でも……忘れられた…… 冬が弱ったとき…… わたしは……影になった…… 雪を食べれば…… 冬に戻れると……思った……」 少年は胸が痛くなった。 「だから雪を食べていたんだ…… 自分を取り戻すために……」 影は震えた。 「……でも…… 雪を食べても…… わたしは……戻れない…… ただ……空腹が……増えるだけ……」 エトゥン・ユクは静かに言った。 「雪はおまえの体を作るものではない。 おまえの心を作るものだ。 心が凍えたままでは、 いくら雪を食べても満たされぬ」 影は揺れた。 「……心……?」 ■ 影の心を温める少年は影に近づき、 そっと手を伸ばした。 「ぼくが……あなたを温めるよ」 影は後ずさった。 「……さわると…… おまえの影が……凍る……」 少年は首を振った。 「ぼくは雪が好きだ。 冬も好きだ。 あなたが冬の子なら、 ぼくはあなたを怖がらない」 少年の手が影に触れた瞬間、 影の体が震えた。 「……あたたかい…… これは……雪ではない…… これは……心……?」 エトゥン・ユクは頷いた。 「心の温もりが、 おまえを冬の子に戻すのだ」 影はゆっくりと光を帯び、 白い霧が晴れていった。 影の中から、 小さな白い子どもが現れた。 「……ぼく…… 冬の子…… 帰ってきた……」 ■ その後の世界冬の子は雪原に溶け、 雪は再び静かに降り始めた。 エトゥン・ユクは言った。 「冬は戻った。 雪はもう食べられぬ。 冬の子が帰ったからだ」 少年は微笑んだ。 「よかった……」 村人たちは雪が戻ったことを喜び、 こう言うようになった。 「雪が静かに降る夜は、 雪を食べた白い影が、 冬の子として眠っているのだ」 雪原は今日も白く輝き、 冬の子は静かに世界を見守っている。 |